僕が本当に面白いと思うこと

社会学専攻の京大院生の諸々

二元論と三元豚

三元豚とは、三種類の豚の品種を掛け合わせた豚のことである。

世の中には、三元豚が好きな人と、三元豚が嫌いな人しかいない。(二元論)

 

分析的な思考によって対象を理解しようと試みるならば、僕たちは常に二元論的な思考方法に依拠することになる。何かと何かを区別できるという前提がなければ、僕たちは何をも分析的に解釈することはできない。

僕たちにとって最も根本的な分析の方法は二元論であって、あの子と私、温かいと冷たい、大きいと小さい、様々な対立軸を多層的に配置して物事を認識する。

裏を返せば、分析的な思考であれば、どんなに複雑に見えるものであっても、微分すれば一つ一つは二元論的な区別がもとにある。

二元論的な見方がもつ特徴とは何か。対象を解釈する際に、対象それ自体を吟味するのではなくて、比較対照しやすい項を持ち出して、いわば相対的に対象を定位しようとするのが、二元論的なものの見方だ。

そういう意味では、二元論は常にここにないものを持ち出す仮想的なものの見方だ。目の前にあるものを、自分の記憶であるとか、概念的に正対称であるものとかと比べることは、常にここにないものを想像する力を要求している。二元論は常に、「こちらである」というときに、「あちらではない」を内包している。

こうした二元論的なものの見方は、対立を煽るためにあるのでもないし、事物の全体集合を明確に二つに区分して、話題の包括性を高めるためにあるのでもない。単純に、対象を明確に理解するために、仮想的な対立項を措定して行うものだ。

だからこそ、おのれの立場が動いた時には、常にその仮想的な対立項は更新されなければならない。二元論は本来ダイナミックなものだ。

そのように考えると、次の二つは二元論型バカだってことになる。
①二元論をダイナミックに運用していないもの
②二元論を事物を包括的に述べる方法で運用しているもの

なんだか、あらゆる政治的な、経済的な、制度論的な、文化的な、宗教的な、教育的な、法的な、メディア的な、ジェンダー的な、日常的な、神話的な、とにかく何であれ対立と名の付くものすべてが、二元論型バカに思えてくる。

それならばどうしたらよいのか。裏を返せばよい。二元論をダイナミックに運用し、事物を包括的に述べる方法で運用しさえすればよい。(二元論型バカ)

 

なんだか豚肉が食べたくなってきた。

バカみたいに食べたい。

Taiki Obonai 2014-