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僕が本当に面白いと思うこと

社会学とお笑いと日常生活

学術研究とお笑いは似ている -院生が何回かお笑いライブをしてみて思った

社会学 雑考 お笑い

ぼくは現在、大学院生として社会学の研究をすることと、芸人としてライブ活動することの実質二足の草鞋を履いている格好にある。

 

学術研究も、ネタ作りも、やり口は似ている。どちらも、自分のオリジナリティを、なるべくシャープに、なるべく体系立てて、なるべく言語的にスムーズにプレゼンテーションする作業だ。

そして、やるうちに気づいたのだが、似ているのはそのやり口、ハウツーの部分だけではないようだ。価値を置くポイントにも共通性があるのだ。要は、いずれも見てくれに反する事実を暴き出すことに重きを置くのだ。

 

学術的な大発見というものは、常に意外性を伴う。コペルニクスが発見した「地球が動いている」という事実は、その意外性がゆえに当時の宗教・世俗の双方に受け入れられず、彼自身が迫害の憂き目を見るに至ったほどである。その発見に意外性があったからこそ、時代は彼を境目に変わった。

地球が動いていることは、実生活の中では実感できない。今自分が立っている場所が、ものすごいスピードで回転する物体の表面だとは、生活の感覚では気づきもしない。見てくれに反する事実には、常識の確認以上の価値がある。

 

お笑いでも同じことがいえる。

ぼくが敬愛している芸人「さらば青春の光」の名作コント「Rock」は次のような筋で始まる。

工場で働きながらバンド活動をするバンドマンが、工場の主任をライブに招待した。後日、主任がバンドマンに問う。「夢も持たずに社会の歯車になるくらいなら死んだ方がマシだ」と歌っていたけれど、「俺らのこと、どう思てる?」

この「どう思てる?」という言葉は、「既存の秩序への抗議を歌うロックミュージシャン」に対する抗議となっている。普段は一面的にカッコよく扱われるロックミュージシャン、その見てくれを、まったく逆の角度から照らすことで、彼の底の浅さを露呈させていく構造のコントだ。

そしてコントは、主任が労働の意義をバンドマンに説き、それをバンドマンがメモって歌詞にしようとするシーンで終わる。ここには一つのコペルニクス的な転回、構造の逆転がある。

見てくれに反することを暴き出すことにある種の価値があることは、学問にもお笑いにも共通する。

 

そんなことを考えていた折、奇しくもちょうど大学の大先輩にあたる社会学者の森下伸也がそのようなことを述べているのを目にした。森下の議論は、ぼくの考えよりもずっとシャープで、体系立っていて、言語的にスムーズだった。

価値は、価値を伝える手段の精密さによって拡大されることもあれば縮小されることもある。何をするにあたっても、精緻な方法を身に着けたいと思う。

Taiki Obonai 2014-