僕が本当に面白いと思うこと

社会学専攻の京大院生の諸々

「人材」という言葉に思うこと

大学生くらいになってから、「人材」なる言葉を物凄く多く聞くようになりました。やれ、「就職は人材関係のとこかな」とか、「~な人材になりたい」だとか、そういう言葉を、毎日たくさん耳にします。

しかし僕は、「人材」という言葉にあまりいい印象を持っていません。特に、「材」なる言葉が嫌いなのです。「材」とは、何か具体的な目的を遂行するための材料のことを言います。(アリストテレスで言う質量因ですね。)

 

 単なる存在ではなくて、ある存在を、ある目的のために方向づけて解釈したもの、それが「材」です。要は、家を作るために「木材」を使うようなものです。僕たちは、そこらへんに生えている「木」のことを、「木材」と呼ぶことはありません。木を切って、削って、整えて、それでやっと「木」は「木材」になるのです。これと同じように、そこらへんのいる「人」のことを、「人材」と呼ぶことはできません。何かしらの手を加えることによって、「人」は目的に沿う「人材」になります。

 

ここでいう「目的」とは、「人」個人からみた目的ではありません。「木材」が家になりたがるわけはない。家を作りたいのは大工さんです。同じように、「人材」が担う目的は、基本的に<誰かの目的>です。

 

<誰かの目的>と、<自分の目的>が一致しているときには、苦痛もないでしょう。でも、人は労働に際して「何でこれをやっているかわからない」のような感情を抱くことがあります。「人」としての自分と、「人材」としての自分のミスマッチは、感情をすり減らす要因になります。

 

もちろん、社会を円滑に回転させるためには、たくさんの「人材」が必要となるのでしょう。それによって、僕の「人」としての生活が助けられているということも、十分わかっているつもりです。そのうえで、僕は<自分の目的>のもとに生きていたいと、わがままに思うのです。

 

僕が「人材」になるには、まだ時間がかかりそうです。

Taiki Obonai 2014-