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僕が本当に面白いと思うこと

6月3日に京都で一人コントライブします。よかったらどうぞ。

あれもこれも聖なる天蓋

人間の信仰とか、あるいは信念とか、世界観、価値観、どんな言葉で表してもいいのだけれど、そういうものは全て一定のフィクションの上に成り立っている。神様は生まれてからまだ2015年に過ぎない。仏像は重機で簡単に壊せる。彼らが敵だと思っているあいつらや、彼女たちが蹴落としたいその人たちは、本当は敵じゃなかったりする。

 

あらゆる事実を構造化された物語のどこかに定位する。フィクションの物語は、僕たちの日常をいい具合に安定させる。聖なる天蓋になっている。それは当然、虚構に過ぎない。だけど、その虚構に人々が信仰を捧げることで、その虚構は一つの客観的なリアリティとして、人間の中に内在化されていく。

 

①人間の内的事実は個人によって相対的なものだ。

②人間は内的事実を表現することができる。

③表現されたものは現実だ。

④ある集団がある表現を共有して内在化させる。

⑤これをもって、強固なリアリティが生まれる契機。

 

あらゆる信念は結局リアリティに傾けられたエネルギーに過ぎない。そこにリアルがあるとは限らない。あれもこれも聖なる天蓋に過ぎない。これは宗教社会学のアイディアだけど、宗教だけに言えることではないはずで、きっと他の色々なものについて説明するための図式になる。でもそれはなんだろう、何が適しているんだろう、そういうことをずっと考えている。考えて考えていくと、行き詰まってくる。行き詰るとまた考えることが増える。

 

僕はきっと無邪気な誰かのイデオロギーを、彼よりもっと無邪気に解体したいと思っている。

 

学問的なアイディアなのか、もっと別のものなのかは分からないけど、このテーマをずっと考えていたら何か生まれてきそうなので、ずっと考える。少し寒くなってきた、11月だ。

Taiki Obonai 2014-