僕が本当に面白いと思うこと

社会学専攻の京大院生の諸々

冗長意訳クラブ

英語の教科書の一節を訳出する課題をやっていて、自分の訳が意訳過ぎるなあと思うに至ったので、ちょっと見ていただけますか。

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<教科書原文>

Who talks more, then, women or men? The seemingly contradictory evidence is reconciled by the difference between what I call pablic and private speaking. More men feel comfortable doing "public speaking", while more women feel comfortable doing "private speaking". Another way of caputuring these differences is by using the terms report-talk and rapport-talk.

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<私の訳>

はてさて、男か。あるいは女か。どちらがたくさん話すのでしょうか。この問題には、明らかに矛盾をきたす事実がついてまわります。しかし、私が「公的な話し方」「私的な話し方」と呼ぶような区分に依って立つならば、その矛盾を解消することができるのです。つまるところ、男性の多くは「公的な話し方」をしているときにノっているのであり、対照的に、多くの女性は「私的な話し方」をしているときにノっているのですね。ところで、男女におけるコミュニケーション様式の相異なりをとらえるための方法はもう一つありますよ。それはすなわち、「レポートトーク」と「ラポールトーク」という観点での区分です。

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まず、基本的に僕は、英語で一文で書かれていることであっても、二文以上に分ける率が極めて高いのです。そして、勝手に接続詞を補充しまくるクセもある。だから何となく冗長になる。ついでに言えば、言葉の選び方やリズム感も、ちょっとこう、クセがある感じ。こなれてる、とかそういう意味じゃなくて、普段の自分の言葉遣いに近いんじゃねえかなあ、と思います。

受験英語の時も、模試ではめちゃめちゃに減点されまくった覚えがあります。(絶対自分が同じ内容を日本語で言うなら、こう言うだろうなあ、という観点においては正確もかかわらず。)もとの構文を活かせ、もとの文法通りに訳せ、的なことを言われまくったのです。

ところがね、僕は意地でも自分の言葉にすることにこだわっていました。自分の言葉にしないなら、答えが出るのを待てばいいだけの話だ、と思っていました。

ああ、最近は、使える英語だとか、コミュニケーション能力がどうだとか、要は相手の欲しいものを提供できる能力が問われまくっている社会ですねえ。私はそんな風潮に屈せず(?)自分が良いと思うものを、思った通りに提示できる人でありたいなあ、なんて思っています。

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さて、家庭教師で教えている子に同じ英文を訳させたら、模範的な教科書例文調子の訳文がかえってきました。家庭教師として受験指導するうえでは、それでよいのです。僕は花丸をあげつつ、どこかイヤーな気分もしつつ。

Taiki Obonai 2014-